春分の日に

小鳥のさえずりに目を覚ますと、
枕元には、柔らかな日差しが降り注いでいる。

今日は春分の日、
太陽が真東から昇り、真西に沈む日。
この日を中心に前後三日間、計七日間が彼岸とされて、
昔極楽浄土は西の彼方にあると信じられていたため、
太陽が真西に沈むこの時期に、
先祖の霊を供養する仏事が行われるようになったといいます。

またこの日は昼夜の長さが同じになる日で
”冬至から、畳の目一目ずつ伸びる”という言葉があるように
この日以降昼の長さを実感し、
”暮れなずむ”という言葉を思い浮かべます。
この頃の夕暮れが暮れそうで中々暮れない様子を表す言葉ですね。

気温の上昇率も一年で一番大きい時期で
春の草花が一層咲き乱れ、いよいよ春爛漫の時を迎えます。

色とりどりの花が咲き誇る景色を ”春の錦”

花の香がにおい立つ様子は ”芳春”

晴よりも花見の好日とされたうす曇りを ”花曇り”

また、あらゆる命が輝く春ゆえに、なぜか物悲しく感じる ”春愁”

また、”春雷”、とか”花散らし”とか
たくさんの素敵な言葉が表現されており、
先人たちの萌えいずる春を謳歌する気持ちは
尽きなかったようですね。

我が家の庭にも
クリスマスローズがきれいに咲きそろってきました。

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弥生三月夢見月

三月ももう半ばに入ってしまいました。

今朝は朝から、しとしとと春雨とは言えない
冷たい雨が降ったりやんだりしています。

毎日を、やたら忙しく過ごしている私、
こんな日はゆっくりと、体休めの日としましょう。

雨に潤された木々や花々、
零れんばかりの雫に
春を迎える喜びを感じているよう。

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春は足早に

空は青く澄み、空気はひんやりと、
素晴らしいお天気の朝をむかえました。

今日は3月8日、”国際女性デー”と言われています。
国連が1975年に定めた記念日で、多くの苦難を乗り越え、
権利を勝ち取ってきた女性たちをたたえる日なのだそうです。

日本ではまだなじみがないのですが、
世界では祝日となる国もあり、
各地で、いろいろな催しも開かれるそうです。

そして国際女性デーの象徴とされる花があります
ミモザの花です。

イタリアではこの日女性へミモザを送る風習があり
近年日本でも少しづつ広がりを見せているようです。

春にさく黄色い球状の花、
一時、新築の家に、ミモザの木を植える・・・
というブームもありました。

黄色の花は暖かな春らしさを連想します。
日本では、本来三月の誕生色は
楚々とした山桜の薄桃色なのだそうです。

昔から花といえば桜のこと
そしてその桜は山桜のことでした。
葉と一緒に咲かせる山桜は、
華やかさの中にも落ち着きを感じさせてくれます。

江戸時代に品種改良されてソメイヨシノとなったわけです。

ソメイヨシノが咲く前の新宿御苑はどうなっているか・・・と
歩いてみました。
早咲きの寒桜が満開に咲き、、もう春が来ていました。

街中が、ソメイヨシノの桜色に染まるのももうすぐ、
ワクワクドキドキする季節が、
足早にやってきてます。

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啓蟄

今日3月5日は”啓蟄”です。
それにふさわしい朝を迎えています。

啓蟄とは、
暖かい気配を感じ土の中の虫たちが動き始めるという意味で
春に,虫二つ書いて、”蠢く”(うごめく)
あらゆる生き物が目覚め始める(覚醒)季、
まさに今日のような日を表す言葉ですね。

目覚め始めたたくさんの若芽や花たちによって
大地はだんだんと色づいてきます。

我が家の庭も
あちらこちらから咲き初めてきたクリスマスローズに
色づき始めてきました。

”桃始めて笑く(さく)”
これは手紙文の次候の挨拶です。

昔の人は花が咲くことを”笑う”と書きました。
俳句では”山笑う”という季語もあります。

花開いたクリスマスローズが
うれし気に微笑んでいるようです。
それを見つけた私も微笑み返しています。

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春はもうそこに

ブログを書かなければ…と思いながら
日々の煩雑さに流されて、気がつけば三月となって・・・。
月日は待ってくれません。

今日から三月に入りました。
弥生三月、日に日にあたたかくなり、春を迎える喜びも一番感じられ
木々は芽を吹き、、
そして何より、大好きな花の季節が始まり、
咲く花に、美しい夢を見られる・・・・。

先週、穏やかな春の日差しを受け
海を見ながらの真鶴、そして熱海へと美術館を回ってきました。

相模の海は
春の海ひねもすのたりのたりかな・・・
静かな、たおやかな、すっかり春の海でした。

そして、
数々の素敵な作品を前に
夢見心地の一日でした。

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今年もお花見は、河津桜から

今日は朝から風が・・・・。
どうやら春一番が吹くらしい。
埃っぽい春風が好きでない私、
外を見ながらちょっぴりとブルーな気分に。

ちらほらと桜の便りも届きはじめ、
今年も松田山の河津桜が気になっていました。

好天の15日水曜日
今日は絶対にフォトDay、とばかりに
さア~今日こそ行こう!と
ロマンスカーに飛び乗った。

空は真っ青、雲一つなくどこまでも澄みわたっている。
駅を降りると、真ん前に大きな大きな富士山がドッカン!と。

桜は…・・・・、色がちょっとくすんでいるかにみえるが。
今年は二週間も早く満開を迎えていたという。
ぐずぐずしている間に、旬な見ごろを終えてしまっていたのか。

それでも絶好のロケーションの元、今年も河津桜を楽しんできました。

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久方ぶりの山歩き

このところ体の調子がとってもいい。
無償に山歩きがしたくて仕方がない。

行きたい思いが我慢ならず
好天の中、思いきって山歩きに出かけた。

たまたま、山旅というツアーを見つけ、
思い切って申し込んでいたのです。
今回は7~8年ぶりの山歩きなので、
初心に戻って、、登山入門から参加した。。

丹沢の東の山、丹沢白山
以前行ったことのある山であったが、コースは全然違っていた。
ベテランのインストラクターが、ゆっくりと歩いてくださった。

スタートは飯山観音(長谷寺・・ちょうこくじ)から。

大きなまきの木を見ながら飯山観音様に詣で、
山歩きの安全を祈願した。

男坂の長い長い階段、いい加減にもういい!と
心に叫びながらの長い階段を抜け、やっと出た尾根歩き
木の根っこが至る所に張り巡らされて、足元が不安、
うえ、アップダウンの連続、
そして急との階段やら、変化があって楽しい尾根歩きだが
気が休むことがない。
なんせ、10年ぶりの山歩きであるから・・・・。
くじけそうな気になりながら、なんでまたこんな苦しみをしなければ・・・
とかいろいろな思いが交差する。
それでもだんだんと、体が思い出してきてくれ、
歩くことが楽になってきた。
たくさんの峠を越えて、小さな山を三つ登り
物見峠という広い峠で昼食、
遠くに見える相模湾がキラキラと輝いていた。

そして、下山途中での眺めの丘、
素晴らしい光景に、疲れも飛んでいくようでした。

無事ゴールに到着し、これで少しはまた山歩きの
自信がついた思いです。

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気になる昔の流行歌

建国記念日の朝、
真っ白に雪をかぶった富士山が、
すっきりとした姿で顔を出していました。
ちらほらと、花の便りも聞こえ始め、
河津さくらが今満開と報道されていた。

毎年でかける新松田の河津さくら
今日のような日は素晴らしい景色の写真を写せたかな・・・と
用事のあった私は、心残る思いでした。

さて、普段の生活には音楽が欠かせない私
気が付くといつでも音楽とともに生活をしている。

好きな音楽を聴くと、脳が活発化したり楽しくなるのは
脳から快楽物質であるドーパミンが流れるからと、
何かの本で読んだことがある。

音楽がどの社会や文化でも好まれている所以ですね。

好きな音楽を聴けると思っただけでも、ドーパミンは出てくるようです。

さて、音楽ならば演歌以外何でも好きな私、思うと
昔の流行歌には、
美しくきれいな詞の曲がたくさんあったような気がします。

私の大好きな曲の一つに
今でも色々な人がカバーして歌い引き継がれている
異邦人という曲があります。

♪~子供たちが、空に向かい、両手を広げ~♪

と、これは冒頭の歌詞の一部ですが、作詞した人は、
車窓から見た情景や、
何気ない日常の断片をつないで作った歌詞だそうです。

夕暮れ時に子供たちが
ドラム缶や土管の置かれた空き地で追いかけっこしたり、
ドラえもんの、のび太やジャオアントが
缶蹴り遊びをしたりしてた光景、
そんな光景をみて、ノートに書き留めて
何度も書き直して出来上がったそうです。

エキゾティックで、ミステリアスな不思議な曲調で、
なぜか、心惹かれる曲です。
いつも自然に口づさむ大好きな曲です。

そしてもう一つ、心に残る曲があります。

たしか、西島三重子さんが歌っていた
”池上線”という曲、
池上線といえば、今も走っている、
五反田から蒲田間を走る小さな車両の
都心のローカル線とでも言いましょうか、
のどかに走っている線です。

池上線の古びた、隙間風が入るような車内で
二人が気まずく沈黙する一番、
駅を降りて家まで送られる途中、
恋人に思わず抱きしめられる二番、
もの悲し気なメロディーに、別れの具体的な情景が、
何とも切なくて、今でも口ずさむと、胸にきゅんと来る歌です。

たかが流行歌、されど流行歌でしょうが、
歌の中で自身の境遇とのオーバーラップすることがあったり
感情も動かされたり
そういう意味の、やはり名曲なのではないでしょうか。

私が今、唯一声を出して、気兼ねなく歌える場所、
それは、カラオケではなく
自分の車の中です。
今日も車を走らせながら、一人大きな口を開けてうたいました。

ドーパミンは続々出ていたかな・・・・・。

庭では、白いクリスマスローズがちらほら咲く中
赤い蕾を見つけました。
少しづつクリスマスローズの季節に入っています。
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立春に

今日は立春、
本来では、身も凍るような寒さの中で、春を迎え、
♪~春は名のみの~♪と、歌ったものですが
今年はなんと,
素晴らしい春真っ盛りのような陽気で迎えた立春です。

中国では寒さが極まり底をつけば
それからは暖かくなっていくという考えがあり,
一陽来復という言葉がありますね。

そして、昨夜の節分では、
夫が小さな声で、”お庭外、福は内”と、一応、豆まきをしました。

毎年、神社へ行っていただいている一陽来復のお守りを

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昨夜、いいえ夜の12時ですので今朝、立春の朝いちばんで、
ことしの恵方の壁に貼りつけました。

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春の語源には、
万物が発る(はる)、草木が張る、田畑を墾る、気候が晴る…
いろいろ諸説があって、
どれも、これからなにかが始まるような希望に満ちた春の
イメージをよく表した言葉です。
実際、太陽の光は冬至から少しづつ長くなっていて、
生物たちは、暖められている大地の変化を感じ取り、
着々と春への準備を進めているかに見えます。

我が家の庭でも、
小さな小さな春が、少しずつ芽生え始めています。

姫立金花(ひめりゅうきんか)の花が一輪咲きだしました。

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スノードロップも,たった一輪だけど

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アルメリアは毅然として、此れもたった一輪咲いています

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ムスカリが、・・・
ともすれと、あちこちから咲きだして庭を占領しがちな花なんですが。

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先日見つけたクリスマスローズ
あれからまた、新たに咲いているかと探すと、
咲いている、咲いている。

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前と同じ種類のクリローです。
この種類は早咲きなのかも。

隣にも同じ種類のが咲いているが、中の花の飾りが違います。
クリローは、花弁のようなものは顎で、
真ん中の小さな塊が花なのですね。
クリローでとっても気になるのが、
この花の形と、周りを囲んでいる姿なのです。
種々様々で、これがとっても興味を引きます。

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さて美しいピンク色で楽しませてくれた薔薇、ピンクアイスバーグ、
いつの間にか真っ白な普通のアイスバーグとなっています。
このまま白くなってしまうのか・・・。
これから注意してみていきたいです。

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これからいろいろな花が咲きだす庭、
二月は如月という美しい名がついていますね。
草や木の芽が張り出すという意味の”木草張月”(きくさはりづき)
が変化したものなどともいわれます。

華やかな花に囲まれる春が待ち遠しいです。
願わくは花を夢見て春待たむ・・・・・

立春に思いを馳せてこんな願いを託しました。



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マリー・アントワネットそして、ゴッホとゴーギャン展

昨年秋から、マリーアントワネット展が、開催されています。
昨年11月に出かけてきました。

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フランス史上最も神話的な人物の一人
最大の権力の座にありながら
最も不名誉な最期を遂げた彼女、
彼女の波乱の生涯を、肌で感じたく、見に行きました。

ともすれば浪費癖や放言の数々について語られていますが
華やかな展示作品は、後半に行くに従い一転。
革命で王宮を追われた後は悲劇に彩られたマリー・アントワネットでした。

処刑の日、脱げたとされる王妃の靴、
汚れて、しわの寄った小さな靴、

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そして、幽閉中に身に着けていた肌着・・・。

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じっと見つめていると、
翻弄され続けた運命がここに凝縮されているような・・・

”不幸になって初めて、人は自分が何者であるのかを知るのです”
処刑前に残した言葉が書かれていました。

断頭台に連行される姿を描いた絵画には威厳すら漂い、
王妃のイメージを払拭し、悲劇のヒロインとして、心に残りました。

マリー・アントワネット、
波瀾万丈という言葉でも表現しきれない彼女の生涯には
今でも魅了されます。
同じ女性としても彼女の生き方
子煩悩でもあったし日本文化を愛していたことなど
もっともっと、深く知りたくなってしまいました。

もう一つ作品展
こちらも昨年、東京都美術館で開催された
ゴッホとゴーギャン展

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身近な人物や風景を鮮烈な色彩と強い筆力で描くゴッホ
装飾的な筆触で想像の世界をまで表現しているゴーギャン。

牧師の家に育ったゴッホ、
南米ペルーで、幼年期を過ごしたゴーギャン

生い立ちも画風も大きく違う二人が
フランスのアルルで共同生活を始める、が、
二人の意見の相違のぶつかり合いで、
わずか二カ月で決裂を迎えてしまうのです。

そのあと、です、有名なゴッホの耳切り事件が起きたのは。

それでも、その後の二人の交友は続き、
お互いに刺激しあいながら、相手に抱いた敬愛を
作品で表現していました。

ゴッホの描いた”ゴーギャンの椅子”

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共同生活の時、ゴーギャンが実際に使っていた椅子
本人の姿はなくても存在感が伝わってくる一種の肖像画だそうです


一方ゴーギャンも晩年を過ごしたタヒチで、
ゴッホの好きだったヒマワリを入れて
”肘掛け椅子のひまわり”を描いています。

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ゴーギャンも友人ゴッホを大切にしていたことがよくわかりました。
ただ残念なことにこの絵はゴッホの死の11年後に描かれたのでした。

ゴッホは35歳という若さで、自ら命を絶ちました。

ゴッホの最後の作品であるこの絵
死を予告していたかのような、あまりに強いタッチで描かれて
不吉な予感を感じたと後から言われていたのだそうです。

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今回の作品展は二人の名前を冠して、
あまりに知られている二人の関係性に焦点を当てた作品展でした。

美術館を後にしながら
何か重い感動のような、悲しみのような
そんな思いに襲われました。





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