« 旧白洲邸 武相荘 | トップページ | 秋の香り、きんもくせい »

奥の細道を訪ねて・・・・・第2回

奥の細道を訪ねて、第2回、日曜日に行ってまいりました。

元禄2年、春未だ浅き3月27日(今の5月16日にあたる)、深川の住みかをあとにした芭蕉は、見送りの門人、友人たちと船に乗り、深川から隅田川をさかのぼり千住へと向かい

”行く春や鳥啼き魚の目は涙” 旅立ちの最初の一句を詠んで、旅たったことを、前回では、ご紹介しました。

千住は3台将軍家光の時日光道中の初宿に指定され宿駅としてにぎわったところで、

”前途三千里の思ひ”を胸に、ここ千住より陸奥国をめざした芭蕉の往時が偲ばれます。

日光街道千住宿の次の宿場は草加です。

今日はここ草加からの出発です。

東武伊勢崎線の草加駅、日光街道の石標を目指し、その先の札場河岸公園、

Img_4526_2

芭蕉像がたっていました。

台座の裏に”若し生きて帰らば・・・”

と刻してあります。

芭蕉の並々ならぬ、決意の程が伺われます。

道路際に”梅を見て野を見て行きぬ草加まで”

正岡子規の句碑もたっていました。

道をさらにすすむと

Img_4532

松並木です。

綾瀬川沿いに1.5キロにわたっての草加松原の並木道、

往時の日光街道の面影を今に伝えるものでしょうか。

Img_4530

遊歩道にある奥の細道にちなんだ歩道橋。

まず矢立橋。

矢立は、芭蕉に欠かせないお道具です。

Img_4535 次いで百代橋。

Img_4534

橋の袂には

”月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅なり”

が刻まれた石碑が建っていました。

Img_4540

松並木の最後には、こんなレリーフが、

同行した門人曾良と一緒の旅姿です。

Img_4541

牛に乗っている芭蕉です。

当時は牛に乗ったのですね。

さてバスは草加を後にして、春日部から利根川を横切り、

武蔵野国(埼玉)から下総の国(茨城)の室の八島・・・むろのやしま

(芭蕉が最初に訪れた地)へと向かいます。

車窓から、幅2mにも満たない細い道が平行に続いているのがみえます。

この道こそが芭蕉の歩いた旧日光街道です。

当時の道は今よりもっと狭く、草はぼうぼうに生え、砂埃で、でこぼこ道であった。

そして、芭蕉がここを歩いたその日は、朝から雨、一日雨であった、

と、書き物には記されているそうです。

背中に食い込む荷物が辛いとも書かれているそうです。

街道沿いは宿場町、たくさんの歴史ある神社、寺院が並んでいました。

これらの寺院は特に芭蕉にはゆかりはないのですが、それぞれのお寺には、

芭蕉の句碑が建っていました。

ただ、この東陽寺、”某日、漸草加と云う宿にたどり着にけり”と奥の細道には書かれています。

最初に宿泊したのがこのお寺さんではないかと言われているのですが、

同行した曾良の”随行日記”には”カスカベニ泊ル、江戸ヨリ九里余”とあり、

としるされており、最初の宿泊地とされる確かな証拠はないそうです。

言い伝えられている芭蕉の足跡を、少しでも感じたかったのですが、

残念ながら、このお寺には、日曜日のため法事が入っていて見学はできませんでした。

バスは大きな利根川を通り抜け、喜沢の追分、宇都宮(日光街道)、そして鹿沼(壬生街道)への分岐点に入りました。

芭蕉はここで、壬生街道をすすみ、栃木市の惣社町にある室の八島へと向かうのです。

Img_4577

千住を出発して二日目、最初に訪れた地、

大神(おおみわ)神社・室の八島です。

社殿の近くの杉木立の中には、池があり、八つの島があり、ミニチュアでしたが、浅間、筑波、鹿島、香取,雷電、熊野、二荒の各神社および天満宮様がと祀ってありました。

そしてこの八島の池のほとりに

Img_4564

”糸遊に結びつきたる煙かな”

と芭蕉がここで詠んだ句碑がたっていました。

糸遊とは、いまでいうかげろうのこと、

池より立ち上がる陽炎が余りに美しく幻想的であったといわれており、こんな光景を芭蕉が見たのかそれとも、空想した光景を詠んだのか・・・・。

慣わしとして、歌枕として室の八島の地を詠むときは煙にちなんだ歌を詠まなければいけないことになっていたのだそうです。

芭蕉も伝統に従って、煙を詠んでいます。

芭蕉は、都人の歌人たちの歌心を知りたくて、

ここ、室の八島を訪れたとも云われています。

う~ン・・・、私の見た限りそんなに魅力のあるところとは感じなかったのですが・・・。

昔は、もっと風情のある地だったのでしょうか・・・。

たまたまその日、神社の境内では、骨董市が開かれており、

たくさんのお店が並んでいました。

何かそちらの方に興味をそそられてしまった私でした(笑)。

さて、芭蕉さんは次回は日光、東照宮へと向かいます。

|

« 旧白洲邸 武相荘 | トップページ | 秋の香り、きんもくせい »

奥の細道の足跡を尋ねての旅」カテゴリの記事

コメント

芭蕉が歩んだ道をたどる旅日記を
興味深く読ませていただきました。
綾瀬川沿いの遊歩道に、矢立橋や
百代橋と名づけられた橋があると
は、たいへん粋な感じがしました。
芭蕉の旅は、歌枕の地や西行の足
跡をたどるのがねらいとか…聞き
ましたが、実は風の丘の近くには
奥の細道で触れている緒だえの橋
や小黒崎、みずの小嶋などがあり
風恋もちょっと関心があります。
平泉から岩手の里までの、当時の
道も整備されているようです。
深川や千住のゆかりの地を訪ねて
みたくなりました。

投稿: 風恋 | 2008年10月 7日 (火) 23時13分

風恋様、早速のコメントありがとうございます。
この旅、一年かけて最後岐阜まで参ります。
一回も欠席できずにたどり着けるか不安なのですが、何とかがんばってみようと思っています。
おっしゃられている、緒だえの橋、小黒崎、
みずの小嶋、多分これから訪れるのかと思います。心しておきますね。

風恋サンの、風の丘・・・って素敵ですね。

投稿: にりんそう | 2008年10月 8日 (水) 09時12分

nirinsou様過日芭蕉の旅の際、お隣の席にお邪魔した者です。ヨチヨチパソコンの私には、まばゆいばかりのブログ・・そして芭蕉の旅もこのように詳しくご覧になっているのかと、私奴にはますます天上人のように思われます。
私も15回制覇を目指していますが希望であって、如何なりますやら、又お会いしました節にはよろしくお願いいたします。

投稿: BOB | 2008年10月 9日 (木) 07時29分

BOBさま
早速、お寄りくださり、ありがとうございます。こちらこそお世話になりました。お疲れ様でした。
そんなお褒め戴くものではありません。
ぼけ防止、脳トレのためにはじめたものです。
日々あったこと、感じたことなど、徒然なるままに綴って行きたいと思っています。
お時間がありましたら又いつでもいらっしてください。
またお目にかかれるといいですね。
どうぞご無理なさらず、楽しんでパソコンのお稽古がんばってくださいね。
今日はありがとうございました。

投稿: にりんそう | 2008年10月 9日 (木) 14時59分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/507589/42713944

この記事へのトラックバック一覧です: 奥の細道を訪ねて・・・・・第2回:

« 旧白洲邸 武相荘 | トップページ | 秋の香り、きんもくせい »